ハワイスクープ

ハワイ昔話04/ハワイ王国ができた頃の話

前回は、カメハメハが、オアフ島から東の島々を制したところで終わりました。
このあたりをもう少し細かく書いてみます。

オアフ島を制したカメハメハは、1795年ハワイ王朝樹立を宣言します。

残るはカウアイ島です。

が、

1796年 第1次カウアイ攻撃/嵐でオアフ軍撤収
1803年 第2次カウアイ攻撃/ペスト流行で中止

カウアイ島は、自然を味方につけたようにして、カメハメハの進撃を防ぎます。

それはまるで、
かつてカメハメハが、自然を味方にして敵軍を倒した時のようでした。

カウアイ島に、
Kauai Museum という歴史資料館みたいなところがあります。

入ってすぐ、カウアイ島の歴代王の紹介があります。
驚くのは、その人物の紹介が、
カウアイ島へ初めて上陸したあたりから始まっていること。

そして……

カメハメハは登場せずに、カウムアリイで終わっていること。
カウムアリイというのは、カウアイ島最後の王。
カメハメハの進撃時代に、カウアイ島の王だった人です。

ハワイ昔話01で、
カウアイ島だけ別の歴史を歩んでいる、と書きました。
が、正確に言うと、カメハメハに征服されなかったために、
それ以前の歴史が普通に語り継がれているってことでしょうか。

カウアイ島はカメハメハに征されなかったのです。

1810年 カメハメハはカウアイ島へ軍門に下るよう使者を出します。

カウアイ島のカウムアリイはこれを受け入れ、
これでハワイ諸島はすべてカメハメハが征したことになります。

どうしてカメハメハはカウアイ遠征を辞めたのか。
というか、どうしてカウムアリイは、カメハメハの軍門に下ったのか。

ハワイ島ワイルアに、パーカーランチという牧場があります。

中に、パーカーさんの歴史を展示?したミュージアムのようなものがあります。
それによると、パーカーさんは若くしてハワイ島へやってきます。
それは、1809年のことでした。パーカーさん、19歳。

あまり詳しく書いてないので、これ以上はわからないのですが、
パーカーさんはカメハメハと仲よくなり、とても信頼されます。
そして、1812年に、中国?からライフルを大量に仕入れてきます。

このことがそんなに大きく紹介されてないのは、
1810年にカウアイ島が軍門に下ってしまったからかもしれません。

カウアイ島は戦わずして、カメハメハの傘下に入ってしまったのです。

とにかく、パーカーさんは、カメハメハからの信頼を得て、
後年、広大な土地と大量の牛をゲットしたそうです。
これがパーカー・ランチのスタートです。

パーカーさんが、王の孫娘と結婚したのが1816年。
パーカー・ランチが正式にスタートしたのは1847年だそうです。

ちなみに、どうしてワイルアに大量の牛がいたのか。
それらは、その昔、バンクーバー船長がカメハメハにあげた牛たちです。
カメハメハは牛を食べることを禁止し、大事に育てていたそうです。

さてさて、カウアイ島のカウムアリイです。

彼は、カメハメハにはかなわんかも、
ということがわかっていたのかもしれません。

が、カウムアリイは、やり手やったのかもしれません。
それがわかる史跡がカウアイ島には残っています。

ロシアン・フォート・エリザベス要塞/Russian Fort Elisabeth

ちょっとややこしいので箇条書きにします。

・ロシアの船がカウアイ島沖で難破
・これをなんとかするためにドイツ人医師がロシアから派遣される
・ドイツ人医師はカウムアリイの存在を知り、陰謀を考える
・カウムアリイを持ち上げてカメハメハと戦わせようとする

カウアイ島には、ロシアの要塞跡が数カ所あります。
一番大きいのがこのロシアン・フォート・エリザベス要塞。
北のプリンスビルにも要塞跡があります。

今となってはようわかりませんが、
これはこのドイツ人医師個人の策略やったそうです。
最終的に、ロシアは国としてこの策略にのらず、陰謀は行われませんでした。

とにかく、カウアイ島は今でも、カメハメハに関するものが少ないのであります。

そうそう、ハワイ島のヒロにカメハメハ像があります。
これはもともと、カウアイ島プリンスビルに建てるためにつくられたそうです。
が、カウアイ島の反対にあって、上陸できず、ヒロに持って来られたそうです。

なるほど。

そして……

1819年 カメハメハ死去
1820年 キリスト教、ハワイに上陸

なんともドラマチックな展開です。
ちなみに、
日本にフランシスコ・ザビエル(イエズス会)がやってきたのは1549年。

1820年当時は江戸時代中期です。

……つづく

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