どうもどうも、ハワイいろいろ捜索隊へなしゅんです。
依頼例3つ目です。
こんな質問依頼もOKですよ…というわけで…
依頼例3 カラカウア通りの入り口の銅像は誰?
調べますよー
ワイキキの中へ入ってきてすぐ、道路が二股に分かれる場所があります。
◆Kalakaua Ave そのまま、海岸線へ向かう一方通行の道
◆Kuhio Ave 左へ分岐する対面通行の道
その二股に分かれる場所に銅像が立っています。
歴史が苦手な人にとっては、銅像はどうでもいい存在だったりしますが、
ハワイが好きになって、何度も通うようになると興味がわいてきたりします。
この銅像は誰なのか。
デイヴィッド・カラカウア(David Kalākaua)
フラを習い始めたりしたら、この人の名前は知っておかねばなりません。
ハワイ王国7番目の王様です。
カラカウアが生きたのは…
1836年11月16日 〜 1891年1月20日
日本の時代に置き換えると、
ちょうど江戸末期から明治初期ですね。
銅像の下に、人物の紹介文があります。
ひとつは英語で、もうひとつは日本語で書かれています。
え? なんで日本語で? と思いますが、それもそのはず、
この銅像を建てたのは、オアフ官約移民(日系移民)百年委員会やからです。
ちなみに、ハワイ王国には8人の王様がいました。
1. カメハメハ大王 1795 〜 1819年
2. カメハメハ二世 1819 〜 1824年
3. カメハメハ三世 1825 〜 1854年
4. カメハメハ四世 1854 〜 1863年
5. カメハメハ五世 1863 〜 1872年
6. ルナリロ王 1873 〜 1874年
7. カラカウア王 1874 〜 1891年
8. リリウオカラニ女王 1891 〜 1893年
どうして、官約移民百年委員会が、カラカウア王の銅像を建てたのか。
カラカウア王はいろんなことをしている王様です。
カメハメハ・スクールが出している本を見てみましょう。
英語ですけど、子供向けの内容なので、なんとか理解でき…るかな。
ちなみに、この本は、王さまたちそれぞれに一冊ずつ出ていて、
英語バージョンとハワイ語バージョンがあります。
ハワイ語を守ろうとしているわけですね。
◆カラカウア王がやったこと1 フラを復活させました。
カメハメハ2世の時代に、プロテスタント(キリスト教)がやってきています。
プロテスタントは、ハワイの人々に文字などの文明を教えると同時に、
土着の風習を排除。
フラも禁止されてしまいます。
それ以降、ずーっと禁止されてきたフラを、カラカウア王が復活させました。
カラカウア王がいなければ、フラは現在のように発展していなかったかもしれません。
◆カラカウア王がやったこと2 イオラニ宮殿を建てました。
ハワイは、アメリカ50州の中で、唯一お城がある州です。
王国やったのですから当然ですね。
そのお城、イオラニ宮殿を建てたのがカラカウア王です。
◆カラカウア王がやったこと3 日系官約移民をスタートさせました。
カラカウア王の時代、
ハワイ王国の経済は、さとうきびプランテーションが支えていました。
免疫の少ないハワイアンたちは、些細な病気で命を落とし、
それを補うために、まずは中国から移民がやってきました。
が、商売人の中国人たちは、契約期間が終わると、商売を始めます。
よし、次の移民を!
と、カラカウアが目をつけたのが日本でした。
維新を終え、スタートしたばかりの明治政府にかけあい、
さとうきびプランテーションで働く移民労働者を連れてきます。
カラカウア王は、日系移民にとって、
お父さんのような存在なのでした。
ハワイ好きのみなさまの、ハワイに関するいろいろな疑問・質問にお答えしていきます。
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