ハワイスクープ


重要なお知らせ
【2021年12月3日】
諸事情により一時休載いたします。

例3 ワイキキのメインストリート。カラカウア通りの入り口の銅像は誰?

どうもどうも、ハワイいろいろ捜索隊へなしゅんです。
依頼例3つ目です。
こんな質問依頼もOKですよ…というわけで…

whiteline依頼例3 カラカウア通りの入り口の銅像は誰?
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調べますよー

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ワイキキの中へ入ってきてすぐ、道路が二股に分かれる場所があります。

◆Kalakaua Ave そのまま、海岸線へ向かう一方通行の道
◆Kuhio Ave 左へ分岐する対面通行の道

その二股に分かれる場所に銅像が立っています。
歴史が苦手な人にとっては、銅像はどうでもいい存在だったりしますが、
ハワイが好きになって、何度も通うようになると興味がわいてきたりします。

この銅像は誰なのか。

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デイヴィッド・カラカウア(David Kalākaua)

フラを習い始めたりしたら、この人の名前は知っておかねばなりません。
ハワイ王国7番目の王様です。

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カラカウアが生きたのは…
1836年11月16日 〜 1891年1月20日
日本の時代に置き換えると、
ちょうど江戸末期から明治初期ですね。

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銅像の下に、人物の紹介文があります。
ひとつは英語で、もうひとつは日本語で書かれています。
え? なんで日本語で? と思いますが、それもそのはず、
この銅像を建てたのは、オアフ官約移民(日系移民)百年委員会やからです。

ちなみに、ハワイ王国には8人の王様がいました。

1. カメハメハ大王   1795 〜 1819年
2. カメハメハ二世   1819 〜 1824年
3. カメハメハ三世   1825 〜 1854年
4. カメハメハ四世   1854 〜 1863年
5. カメハメハ五世   1863 〜 1872年
6. ルナリロ王     1873 〜 1874年
7. カラカウア王    1874 〜 1891年
8. リリウオカラニ女王 1891 〜 1893年

どうして、官約移民百年委員会が、カラカウア王の銅像を建てたのか。

カラカウア王はいろんなことをしている王様です。

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カメハメハ・スクールが出している本を見てみましょう。
英語ですけど、子供向けの内容なので、なんとか理解でき…るかな。

ちなみに、この本は、王さまたちそれぞれに一冊ずつ出ていて、
英語バージョンとハワイ語バージョンがあります。
ハワイ語を守ろうとしているわけですね。

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◆カラカウア王がやったこと1 フラを復活させました。

カメハメハ2世の時代に、プロテスタント(キリスト教)がやってきています。
プロテスタントは、ハワイの人々に文字などの文明を教えると同時に、
土着の風習を排除。
フラも禁止されてしまいます。

それ以降、ずーっと禁止されてきたフラを、カラカウア王が復活させました。
カラカウア王がいなければ、フラは現在のように発展していなかったかもしれません。

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◆カラカウア王がやったこと2 イオラニ宮殿を建てました。

ハワイは、アメリカ50州の中で、唯一お城がある州です。
王国やったのですから当然ですね。
そのお城、イオラニ宮殿を建てたのがカラカウア王です。

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◆カラカウア王がやったこと3 日系官約移民をスタートさせました。

カラカウア王の時代、
ハワイ王国の経済は、さとうきびプランテーションが支えていました。
免疫の少ないハワイアンたちは、些細な病気で命を落とし、
それを補うために、まずは中国から移民がやってきました。
が、商売人の中国人たちは、契約期間が終わると、商売を始めます。

よし、次の移民を!
と、カラカウアが目をつけたのが日本でした。

維新を終え、スタートしたばかりの明治政府にかけあい、
さとうきびプランテーションで働く移民労働者を連れてきます。

カラカウア王は、日系移民にとって、
お父さんのような存在なのでした。

 

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