ハワイスクープ


重要なお知らせ
【2021年12月3日】
諸事情により一時休載いたします。

ハワイ昔話03/カメハメハ歴史に登場

前回に続いて3回目です。
やっとカメハメハが登場します。
っていうか、西洋の歴史にハワイが登場します。

それは、1778年のことでした。
キャプテンクックという船長が率いる船が、ハワイ諸島を「見つけ」たのです。

※この時乗っていた船は「レゾリューション号」という名前でした。

初上陸したのはカウアイ島のワイメアという町でした。
なので、カウアイ島のワイメアにはキャプテンクックの像があります。

キャプテンクックのスポンサーは、サンドイッチ伯爵という人でした。
で、キャプテンクックは、ハワイをサンドイッチ諸島と名付けます。

翌年の1779年、キャプテンクックたちはハワイ島へやってきます。
その時、ハワイ島はお祭りの真っ最中でした。

ハワイには、年に一回、マカヒキというお祭りがあります。
これは、日本の盆に近いものと考えられているようです。

ハワイのマカヒキでは、
ロノという神様が海の向こうからやってきてメグミをもたらしてくれる、
と言われていました。

キャプテンクックたちがやってきたのは、ハワイ島のケアラケクア湾。
そこにはヘイアウがあります。

そこでマカヒキをやってる時に、キャプテンクックが現れました。
ロノという神様は帆のような飾りで祭られています。
「レゾリューション号」はまさにロノに見えたようです。

最初は神のように扱われたキャプテンクックたちでしたが、
出港し、帆が折れて戻ってきたあたりからおかしくなります。
あいつらは神じゃないのじゃないか、と思われてしまいます。

神じゃないから当たり前ですけど。

で、もめごとの結果、キャプテンクックは殺されてしまいます。
言い伝えでは、体のほとんどを食べられてしまったそうです。

偉人の肉を食べると、ご利益があるみたいな風習?があったみたいですね。

ハワイ島ケアラケクア湾の奥に、キャプテンクックの碑があります。
ちなみに、ここまでは簡単に行けません。
へなしゅんは、マサシさんに連れられて、泳いで行きました。
けっこうな距離です。

さてさて、このキャプテンクックが殺された時、
ハワイ島はピリ系のカラニオプウという大首長が仕切っていました。

で、このカラニオプウ大首長の甥やったのがカメハメハでした。

カラニオプウは、自分の息子キワラオを跡取りに指名し、
カメハメハを軍隊の長にして亡くなります。

これが気に入らなかったキワラオは、カラニオプウの死後、
カメハメハをやっつけてしまおうと考えましたが、逆にやられてしまいます。

秩序を失ったハワイ島は3つに別れてしまいます。
カメハメハはコハラ地区を制していました。

ここからカメハメハの神話のような快進撃が始まります。
まずハワイ島で。

カメハメハの裏手をつこうと出撃したケオウア軍が、
キラウエアの噴火で全滅してしまったのです。

この時の兵士の足跡を見に行った記事がこちらです▼
兵士の足跡 フットプリント/Footprints

こうして、カメハメハはハワイ島を統一します。
1791年、日本の江戸時代のことです。
そうそう、これを忘れてはいけません。

カメハメハたちは、西洋から銃などを大量に仕入れていました。
戦国時代に、織田信長が西洋から銃を仕入れていたのと同じですね。
その資金源となったのが、白檀でした。

アメリカからやってきた航海士たちは、ハワイで白檀を仕入れ、
それを中国(当時は清)へ持っていって売りさばきました。
中国の観光バスなどに「檀島」と描かれていることがあるのはそのためです。

カメハメハは白檀を売って武器に変え、他の島を攻めていきます。

マウイ島の軍隊をイアオ渓谷で全滅させ……

オアフ島の軍隊をヌウアヌパリで破ります。
この時、マウイ島とオアフ島はカヘキリという王様が制していました。
それを破ったことで、オアフ島から東はすべてカメハメハが制することになりました。

そして……
1795年ハワイ王朝樹立を宣言。

オアフ島にバースストーンなど歴史的なものがいくつかありますが、
ほとんどはカメハメハがやってくる前からあったものです。
クカニロコ・バースストーンって何ですか?

……つづく▼

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