前回は、捕鯨の時代となり、
いろんな国の捕鯨船がハワイにやってくるようになったことをご紹介しました。
カメハメハ3世の時代です。
当時、ハワイ王国の首都は、マウイ島のラハイナにありました。
前回ご紹介しましたが、
1839年にフランスのフリゲート艦がやってきて、
一方的にいろいろなことを要望されてから、
カメハメハ3世はこのままではダメだ、と思ったみたいです。
1840年
カメハメハ3世はハワイ王国初の憲法を発布します。
ついでに書いておきます。
1841年
日本の幕末史に登場するジョン万次郎が、ハワイにやってきました。
漁船が遭難し、アメリカの船に助けられて連れてこられたのです。
14歳でした。
彼はその後、英語をマスターし、幕末の通訳として活躍することになります。
※この絵は Wikipediaからお借りしています。
そして今回のお話の中心人物です。
1842年
G.P.ジャッド、ハワイ王朝で働きはじめます。
ジャッドさんは、アメリカからやってきた移民です。
もともとはアメリカ海外伝道協会というところの外科医やったみたいですが、
1842年からハワイ王朝で働きはじめます。
※この絵はHawaiian Kingdom Blogからお借りしています。
え!? アメリカ人が?
と思ってしまいますが、当時のハワイの政府役人は、
すでに欧米人たちだらけやったそうです。
欧米人たちの多くは宣教師たち、もしくは宣教師出身者でした。
※ジャッドさんを紹介したサイトがあります。よろしければ▼
・ジャッドという名の人々
1843年
イギリス、フランス、アメリカという3つの列強と、
それぞれ協定を結ぼうとしていた時でした。
イギリスの軍艦がやってきて、ハワイを占領しました。侵略です。
イギリスの国旗が掲げられ、法も変えられました。
ここでジャッドさんが活躍します。
ハワイ王国公の文書を王たちの墓に隠すなど、
国家を守るために密かに動きました。
そして、いろんな準備を整えたあとイギリス国家と交渉します。
6カ月間も続いた侵略でしたが、
これはその船の所有者の個人的な占領だったみたいです。
イギリス海軍太平洋司令官トーマスという人が動いて、開放してくれました。
このトーマスさんに感謝して造られたのがトーマス・スクエアという公園です。
このトーマスさんとの交渉に、一生懸命動いたのがジャッドさんです。
実はトーマスさんこそ、この占領を支持していた本人だったという噂もあります。
カメハメハ3世の危機感はさらにアップします。
当時のハワイは、
ラハイナ = 捕鯨船の拠点
ホノルル = 商業の中心地
やったのですが、
異国の船が主導権を握っているようなラハイナは危険だと考えたようです。
1845年
首都をラハイナからホノルルへ移転します。
日本の江戸時代ですね。
幕末に大活躍した坂本龍馬が9歳の時の話です。
カメハメハ3世は、いろんな国との交渉を初めます。
1846年
フランスとイギリスとの協定をよりよいものにするために、
デンマークと協定を結びます。
また、アメリカともよい条件の協定を結ぶことに成功します。
ハワイにやってきたアメリカ人たちは、
宣教師団から金儲け集団に変わっていました。
よくわかりませんが、
要は、土地を所有するという概念がなかったハワイの土地を、
欧米人たちがなんとか所有したかった結果、新たな憲法が生まれています。
1848年
グレートマヘレという土地分割法ができています。
・カメハメハ王の領地 → 23.8%
・ハワイ政府が所有する官有地 → 37.0%
・245人の族長の領地 → 39.2%
本当はもっと欧米人たちに有利な内容だったみたいですが、
ジャッドさんが動いて、ハワイの人に土地を持たせるように頑張りました。
1849年
またしても侵略?です。今度はフランスの軍艦がやってきました。
・フランスのブランデーに対する関税を引き下げろ!
・英語同様にフランス語を公用語にしろ!
というような要求をしてきましたが、ここでも、ジャッドさんが活躍します。
イギリスとアメリカの司令官に頼ってこれに抗議させています。
10日後フランス船は去りました。
世界はどんどん変わろうとしていました。
カメハメハ3世は、列強に特使を派遣することにします。
特使に任命されたのが、ジャッドさんでした。
ジャッドさんは、この世界特使旅行に二人の王子を連れていきました。
カメハメハ大王の孫にあたる、
ロットとアレクサンダー・リホリホの兄弟です。
※この写真はWikipediaからお借りしています。
この世界旅行中、2人はアメリカで人種差別を受けます。
そして2人をアメリカ嫌いにさせてしましす。
これは、その後のハワイ史に大きな影響を与えることになります。
ロットの方がお兄さんなんですけど、
カメハメハ4世となるのは、アレクサンダー・リホリホです。
ロットはカメハメハ5世になります。
1850年
ジャッドさんたちが世界を回ってる間に、
ハワイでは憲法が改正されていました。
なんと、外国人の土地所有がOKとなってしまいました。
土地を所有することはハワイアンにとって、意味がわかりませんでした。
欧米人たちは容赦せず、
族長からだけでなく、借金を抱えていたハワイ政府からも、
格安で土地を購入しはじめます。
※この後、1862年には、ハワイの土地の約75%は外国人所有となります。
帰国したジャッドさんも、土地を買っています。
外国人の土地所有には反対していたけど、
実際にOKとなってしまったら買っておかねば、と思ったみたいです。
そのジャッドさんが購入した土地が、現在クアロアランチとなっているところです。
ジャッドさんの家族は、
この地でサトウキビプランテーションに取り組んだりされてます。
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