前回のつづきです。
少し逆戻りしますが、
1835年 カウアイ島コロアにて、サトウキビプランテーションの事業化に成功します。
ハワイ昔話06でも少し書いています。
・ハワイ昔話06/捕鯨の時代
世界的に見たら、サトウキビプランテーションはもっと昔から行われていました。
が、捕鯨の時代が終わりかけていたハワイにとって、
サトウキビプランテーションは次の時代を担う事業?でした。
1851年。
サトウキビプランテーションで働くために、約200人の労働者が清(中国)からやってくることになりました。
清(中国)アモイから280人、香港から522人。
※実際にやってきたのは1852年だという資料を見つけました。
※労働契約は5年契約やったそうです。
ちなみに
「サトウキビプランテーション」というのは、大規模工場生産の方式を取り入れ、
広大な農地で、さとうきびを大量に栽培する大規模農園手法のことです。
サトウキビプランテーションが始まった頃、
ジャッドさんの外遊旅行の成果が表れはじめました。
イギリスから、独立の保証と条約をゲットします。
1852年
カメハメハ3世は、ハワイ国民たちに権利を分散させるため、新しい憲法を発布します。
欧米人たちに支配されていく国家を、ハワイ人たちの手に取り戻そうとしたのだ、
と言われていますが、すでにハワイ王国は欧米人だらけになっていました。
1853年
ハワイとは関係ないですが、この年、日本に黒船がやってきています。
日本の江戸末期が始まろうとしていました。
そしてその翌年、1854年
カメハメハ3世は40歳という若さでお亡くなりになりました。
子どもの頃から、王様としてハワイ王国のために生きてきた人です。
欧米人たちがどんどん増えて行く王国をどんな気持ちで見ていたんでしょうか。
カメハメハ3世のお墓は、ダウンタウンの山側ロイヤルモザリウムの中にあります。
興味のある方はぜひ。
カメハメハ3世の後をついだのは、アレクサンダー・リホリホです。
・画像はhttps://www.history.com/ カメハメハ4世からお借りしました。
1855年1月にハワイ王国4番目の国王に即位しました。
カメハメハ4世については、何かをしたという大きなニュースはありません。
何もしなかったのではなく、当時のハワイ王国は、
議会(アメリカからやってきた人々)に支配されはじめていました。
1856年、カメハメハ4世はエマと結婚します。
・画像はQueen Emmaからお借りしました。
エマはカメハメハ大王のハワイ統一を助けたジョン・ヤングさんの孫娘です。
オアフ島パリハイウェイの途中に
クイーン・エマ・サマー・パレス(クイーン・エマ夏の宮殿)という建物があります。
カメハメハ4世一家が夏期に過ごした別荘みたいなもの。
そのエマさんですね。
カメハメハ4世の話といえば、必ず出てくるのが息子、アルバート王子のことですね。
ハワイ王国の人々はアルバート王子の誕生を本当に喜びました。
なぜなら、カメハメハ2世も3世も子どもがいなかったからです。
カウアイ島の北「ハナレイ」に、
プリンスビル(プリンスヴィル)という名のリゾートがあります。
カメハメハ四世の時代、
スコットランド人のお医者さんがこの辺りの土地を購入して、
サトウキビの栽培を始めました。
ある時、カメハメハ四世がこの地へ遊びにやってきました。
家族でやってきたそうです。
お医者さんは、カメハメハ四世の息子「アルバート王子」に敬意を表して、
この地を「Princeville (Prince-ville=王子の場所)」と名付けました。
が、なんということでしょう。
アルバート王子は1862年に病気で亡くなってしまいます。
カメハメハ四世はそのショックから立ち直ることができませんでした。
そして、気管支喘息で29歳の若さで亡くなってしまいます。
1863年のことでした。
・画像はHo‘okuleanaからお借りしました。
クイーンエマは、アルバート王子とカメハメハ4世を失ったあと、
クイーン・エマ・サマー・パレスで49歳まで暮らされていたようです。
30年近く、です。
※画像はhttps://www.hawaiianbeachrentals.com/からお借りしています。
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