ハワイスクープ

ハワイ昔話09/カメハメハ5世

前回のつづきです。

Prince Lot(カメハメハ5世)はカメハメハ4世のお兄さんです。ジャッドさんに連れられ、弟と一緒にアメリカを旅したこともあります。4世が生きている頃は、内務長官、財務長官などの要職に就いていました。

カメハメハ4世は病気で29歳の若さで亡くなってしまいます。そして、Prince Lot が後を継ぎました。1863年、カメハメハ5世の誕生です。

カメハメハ5世は、初代カメハメハ大王を尊敬していました。そして、昔のハワイ王国みたいに、威厳のある国に戻したいと思っていたようです。

※カメハメハ4世と同じで、アメリカという国は好きでなかったみたいです。

ちなみに、当時の太平洋の島々は、ヨーロッパ諸国の植民地になっていました(イギリスとフランスが取り合っていました)

※フィリピンはスペインの植民地でした。

このような平らにした地図で見ると分かりませんが….

地球の形にして見ると、ハワイがどんなところにあるかが理解できます。海のど真ん中なのです。日本の江戸時代まで、ハワイが世界から知られていなかったのも当然かもしれません。

1864年、カメハメハ5世は、1852年にカメハメハ3世が作った法律を廃止しました。

1852年にカメハメハ3世が作った法律は、国民に権利を分散させるのが目的でした。が、それは3世の狙いとは逆にアメリカからの移民たちに思い切り利用され、国を仕切られるようになってしまいました。

「これをなんとかせねば!」

カメハメハ5世は、王の手に権力を戻そうとしていたようです。議会の力を弱め、選挙もハワイアンの意志が反映されるように、体制を変えていきました。

が、それだけではどうにもならないところまで来ていました。欧米移民が増えただけではなく、ハワイアンの数も減っていました。

太平洋のど真ん中で生きていたハワイアンは、平和な環境の中で生活してきたため、免疫がほとんどありません。移民たちが持ち込んだ軽い病気(例えば風邪とか)で、どんどん命を落としていきました。キャプテンクックがやってきた頃は30万人もいたとされるハワイアンの人口は、カメハメハ5世の時代には、1/3以下になっていました。

そして、この時期、ハワイではハンセン病が大流行していました。現在では完治するそうですが、当時は謎の病気でした。

1865年、ハンセン病患者をモロカイ島のカラウパパ半島へ隔離することが決定。1866年には実施されました。上の写真は、モロカイ島のカラウパパ半島を見降ろしているところ。崖の下にある半島なので、陸の孤島と言われています。

この隔離されたハンセン病患者のために立ち上がったのがダミアン神父です。ダミアン神父はカラウパパ半島へ渡り、教会を造るだけでなく、患者の生活環境を改善するために土木工事までしました。最後は、自分もハンセン病にかかって亡くなります。

ハワイ州庁舎の前にダミアン神父の像があります。あ、ダミアン神父はベルギー人です。でもって、牧師ではなく神父さんやからカトリックなんですよね。

1868年、日本からサトウキビ畑の労働者として移民がやってきます。これは江戸幕府時に契約された移民労働者です。江戸幕府が崩壊したため、ここから先、しばらくは日本からの移民はありません。明治元年にやってきたことから、元年移民と言われています。

※明治政府とハワイ王国が契約して、日本から官約移民がやってくるのはもっと後の 1885年です。元年移民から後は、しばらく日本からの移民はありません。

同じ年、1868年4月、ハワイ島の南でハワイ史上最大の地震が起きます。マグニチュード7.9やったそうです。死者77人。それ以降、ハワイではそんな大きな地震は起きていません。

っていうか、この歴史を知らない人も多く「ハワイは地震が起きない」と言われていたりしますが、そうとは限らないみたいですね。

カメハメハ5世は12月11日に生まれ、12月11日に即位しました。人々は12月11日を「カメハメハ・デー」として祝っていました。

1871年、ロットはこの12月11日を、尊敬するカメハメハ大王のメモリアル・デーである6月11日に変更します。これが現在のカメハメハ・デーです▼
カメハメハ・デーが始まったのは、カメハメハ5世の時です。

その後、カメハメハ5世はハワイの国歌「ハワイ・ポノイ」を作らせ(作詞はのちのカラカウア大王)、1872年にはハワイ王朝初の政府用建造物アリイオラニ・ハレ(カメハメハ大王像の後ろに写ってる建物)の建設を決定します(実際に完成したのはカメハメハ5世の死後)

カメハメハ3世と4世の時代のハワイ王国は、捕鯨の拠点として潤っていました。

この画像はwikipediaからお借りしています

イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどの捕鯨船がマウイ島に集結し、お金を落としていきました。なぜ捕鯨をしていたかについては「ハワイ昔話06/捕鯨の時代」でもご紹介させていただきましたが、以下のとおり▼

◼︎この時代、まだ石油が採掘されていなかった
◼︎人々はクジラのあぶらを灯油として使ってた

そのほか、機械のオイルなんかにも使っていたそうですが、とにかく、オイルのためだけに巨大なクジラを殺していました。

が、カメハメハ5世の時代、石油が見つかり、石油精製業がスタートしました。捕鯨で賑わっていたハワイが寂しくなっていきます。

1873年、12月11日、5世は重い病気にかかり、自分の誕生日にこの世を去りました。43歳でした。5世は独身だったため、「カメハメハ」を襲名した王は彼が最後になりました。

なぜカメハメハ5世は独身だったのか。

カメハメハ5世は、バーニスという王族の女性が大好きやったそうです。求婚しますが、断られ、バーニスはビショップと結婚します。その後、バーニスはハワイ王族の遺産をどんどん相続することになります。

▲これはロイヤルハワイアンセンターにあるバーニスさんの像です。

カメハメハ5世は病床で、バーニスに王位を継がせようとしますが、断られて亡くなります。なんとも悲しい。

このあたりのハワイの歴史は、なんだか悲しいことばかりです。

※ちなみに、ハワイ王族の遺産を受け継いだバーニスも早く亡くなってしまいます。その遺産をついだビショップが、カメハメハスクールや、ビショップミュージアムをつくります。

……つづく

<取材日:2019年10月1日>

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